参議院選挙で当選した元アイドルの生稲晃子議員(54)は選挙期間中から政治家としての資質を疑われるような行動を繰り返しています。
それでもなぜ当選できたのか、疑問に思う方は多いです。
そのワケは萩生田光一がおニャン子クラブの元ファンだったからと噂があります。
そこで今回の記事では、
- 生稲晃子はなぜ当選できたのか
- 生稲晃子はなぜ立候補したのか
- 萩生田光一が元ファンだった疑惑
以上を徹底解説していきます!
生稲晃子はなぜ当選した?

2022年7月「第26回参議院選挙」で当選した元おニャン子クラブの生稲晃子さんのメデイア対応に批判が高まっています。
政治や政策の不勉強からメディアに対応する能力がなく、政治家としての資質を持ちあわせていないと国民の不信感が集まってしまった生稲晃子さん。
- 参院選公示直後の6月22日にNHKが実施した「参院選候補者アンケート」の26問中5問しか回答しない
- 「富裕層への課税強化に賛成か?反対か?」の質問に毎日新聞には「反対」、朝日新聞には「賛成」
と、誰が見てもチグハグな回答でした。
さらに、当選を決めた直後各社のテレビインタビューの出演も一切拒否したのです。
では、なぜ生稲晃子さんのような政治家としての力量が疑われてしまうような人物が自民党の公認を受け、しかも当選できたのでしょうか。
理由はズバリ、
と思われます。
生稲晃子さん当選の背景には、自民党の次のような思惑があったのです。
自民党が頼りたかった生稲晃子の知名度

参議院東京選挙区は定数6のうち自民党は改選前に2つの議席を持っていました。
現職の自民党議員が1人引退することになり、2議席を確保するには強い新人候補を擁立しなければならない党内の事情があったのです。
そこで、自民党は生稲晃子議員がもつ団塊ジュニア層の絶大な知名度を使って議席の獲得をもくろみました。
生稲晃子さんは、約35年前に放送され当時社会現象になったテレビ番組「夕焼けニャンニャン」から生まれたおニャン子クラブに所属していました。

おニャン子クラブとは:当時10代であった団塊ジュニア世代の圧倒的な人気を誇り一大ムーブメントを起こしたアイドルグループ
その団塊ジュニアとは現在50歳前後で、東京都での年代別人口でもっとも人数が多い層です。
また、この年代は投票率も高く団塊ジュニアの投票が選挙の動向を大きく左右すると言われています。
生稲晃子議員は選挙戦が始まる前、専門家の間でその知名度からトップ当選するのではないかと予測されるほどでした。

しかし、選挙期間中に一連の失態を招き支持は急落、当選ラインギリギリとまでうわさされるようになったのです。
結果、生稲晃子議員は6議席中5位で当選を果たしました。
生稲晃子当選は旧統一教会の支援?

なんとか当選を果たした生稲晃子さんですが、その後旧統一教会の関連施設に自民党の萩生田光一政調会長とともに訪問したことが報じられてしまいました。
このことから、
と世間から批判を受けました。
公示日直前の6月18日にともに八王子市にある旧統一教会の関連施設「世界平和統一家庭連合八王子家庭教会」を訪問したことを認めました。
その中で、生稲晃子さんは
「化粧をなおすことや演説のことで頭がいっぱいで緊張からまわりを見ずに移動したので旧統一教会の関連施設とは気づかなかった」
と、政治家とは思えない稚拙な言い訳をして、多くの国民にあきれられてしまいました。
さらに、選挙期間中に支持が急落してしまった生稲晃子さんが当選したのは旧統一教会の組織的な支援が影響しているのではないかとささやかれるようになりました。
繋がりがあったのは事実だし、支援していた可能性は高いよね
生稲晃子はなぜ立候補した?

そもそも、なぜ生稲晃子さんは政治家の道を選んだのでしょうか?
生稲晃子さんは、2011年42歳の時乳がんの告知を受け、2度の再発と5回の手術で苦しい闘病生活を経験しました。
がんの治療をしながら仕事を両立する難しさに直面し、その経験から病気になっても仕事を続けられる社会にしたいと思うようになったのです。
政治家を目指したきっかけは自身の病気・乳がん
生稲晃子さんは芸能活動と治療を両立し、乳がんを克服した経験をかわれ、2016年に安倍元首相が議長を務めた「働き方改革実現会議」の民間議員に選ばれました。
「働き方改革実現会議」で、病気になっても働き続けられるように、勤務先と医療機関、両立支援コーディネーターが連携して患者を支える「トライアングル型支援」を提言した仕組みが2018年に厚生労働省によって実現された。
このことで、生稲晃子さんは「自分の経験がもっと多くの方の役に立つのではないか」と思うようになりました。
その後も、厚生労働省の「がん対策推進企業アクション」や、内閣府の「DV等被害者のための民間シェルター等に対する支援の在り方に関する検討会」の委員を務めるなど社会活動を積極的に行ってきたのです。
生稲晃子さんの参院選出馬には、これらの功績と安倍元首相とのつながりが深く関わっていると言われています。
それを裏付けるかのように、安倍元首相の選挙戦開始後初となる応援演説は生稲晃子議員の街頭演説でした。

以上のことから、
生稲晃子さんの立候補は、元おニャン子クラブという知名度と「働き方改革実現会議」での実績で、男性と女性の両方の有権者から支持が得られると期待されたからでした。
萩生田光一は生稲晃子の元ファン?

生稲晃子議員の擁立には、自民党東京都連の会長でもある萩生田光一さんの意向も大きく働いたのではないかと憶測を呼んでいます。
1963年生まれの萩生田光一さんは、おニャン子クラブが活動をしていた期間は20代前半でした。
当時のおニャン子クラブの人気を考えれば、萩生田光一さんもおニャン子クラブのファンだった可能性は大いにあります。
生稲晃子と対談した萩生田光一の様子が…
さらに、生稲晃子さんと萩生田光一さんは15年前に自民党機関紙「自由民主」で対談をしているのです。

誌面には並んで写る笑顔の写真と、子育てについて語り合う2人の対談が掲載されています。
ファンとしか思えない満面の笑顔の萩生田光一。
このことから、「萩生田光一さんは生稲晃子さんの元ファンだったのでは?」とうわさされるようになりました。
しかし、萩生田光一さんが生稲晃子さんの元ファンであったことを証明するものはありません。
それでも生稲晃子さんの政治家としての活動に、萩生田光一さんのうしろだてがどのように影響するかは注視するべきところです。
まとめ|生稲晃子はなぜ当選した?理由は萩生田が元ファン&統一教会の支援?
- 当選は団塊ジュニアの絶大な知名度を利用した自民党の戦略だった
- 立候補の理由は自身の闘病経験を社会に生かせる思ったから
- 萩生田光一政調会長は生稲晃子議員の元ファンだった可能性が高い
今回は、生稲晃子議員がなぜ政治をこころざし当選できたのかを解説してきました。
生稲晃子議員がこれからの任期をどのように政治活動を行っていくのか、アイドル出身の議員だけに注目は続きそうです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。